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瞑想を学んできた環境

 度々恵まれた環境で瞑想を学んできたと書いていますが、少し振り返ってみます。 私が瞑想を始めたのは幼少期でした、きっかけは学校での出来事です。その話はまた書きたいと思っています。 とにかくその出来事がきっかけで自分の中の何かが閉じている気がしていました、本当の自分を生きていいない感覚がずっと大人になってから消えませんでした。 瞑想やヨガのちょっとしたご案内やクラスを始めていた時期もその感覚は拭いきれずに私の本当の心を塞いでいました。その長い、、自分を知らない感覚を取り去ろうと決めたきっかけは震災でした。大地震の2日前から人生で初めて眠れずに夜を越してしまい、動悸と胸騒ぎが止まらずに何か変だと感じていました。そしてその時はきました。起こった瞬間にニュースなども見ずに起こってしまったことを感じました。その瞬間胸のドキドキは消えました。嘘のように心臓が楽になり、でも次の瞬間にひどい後悔の念が押し寄せてきました。どうして私は本当の自分の解放していなかったのだろうと。何を後悔しているのか自分できちんと把握していたわけでは無かったですが、もしかしたらもっと自分を開いていたらこれが起こる前に誰かたった一人だけにでも伝えることができたかもしれない。そう感じました。 その瞬間から私の人生はこの体に宿ると決めて産声を上げたその、、魂そのものの軌道にまた乗りはじめました。そこから本当の自分自身が私を応援してくれているように、現実が回りはじめました。その先の恵まれて環境での学びは次回に続きます。
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本当の瞑想とは

 私事ですが最近最愛の母がお空に還り、それと同時に2022年の夏は人生の入れ替わりのような浄化のようなことが次々と起こりました。まだ夢の中のような呆然としている感覚もありますが、人生が変わっていく音が聞こえる。またそんな時期を過ごしています。 ブログをまた書き出したのは、瞑想に捧げてきた時間を少しでも形にして残しておくためと、まだまだアウトプットするべきことが私の中にあるからかと思います。少しづつですが本当に恵まれた環境で学んできた瞑想のこと、霊性の教え、ヨガのこと、出会いや別れ、人生のこと、仏教の教え、ヨガ哲学、自分自身のことなど書いていきたいと思います。 数日前に地球から宇宙の愛が降り注がれている唯一の場所が閉じはじめた感覚を味わいました。私たち人間ができることはちっぽけなことではないこと、一人一人の愛が地球を回していることを今一度思い出す必要があるのかもしれません。 続きます。 Sri